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今から30年程前と言いますと、まさに昭和の終えんと言った時でした。
そして、世紀末を目前に、世界中が大きな変化 の兆しを感じ始めていました。
時代は、戦後の復興期が終わり、重厚長大から軽薄短小となり、情報革命が始まろうとしていました。

大阪南の一等地に工房を構えられた私は、その場所の紹介者の都市企画設計と、都市開発(地上げ事務所)が同じ建物に入り、心斎橋の大型ファッションビルを手掛けていた設計事務所の景気も良く、1階のステンドグラス工房としても、その恩恵に与っていました。独立して3年と半年あまり、ファッションビル全面の45平米のステンドグラスや、次々と、仕事が決まり、まさに一つ目のピークを迎えようとしていました。

「人生、山高ければ谷深し 」のことわざの様に、すぐそこに、大きな谷が口を開けていました。
経済的に厳しい経営をしていた設計事務所に、パトロンが大手ゼネコンから副所長として入られたのですが、自由気ままな設計事務所の気風になじめず、なぜか階下のうちの工房の社長になり、ステンドグラス工房を株式会社にして、建築業に移行しました。
そんなバカな事と、納得がいかないまま、工房をタダで借りている手前、設計事務所には逆らえず、受け入れざるおえなくなったのです。

20代の小娘が数千万以上の仕事を請け、建築業界で営業している様が、周りの大人の男性陣からすると、あぶなっかしく思われたのでしょう。

それは、親切心からとも考えられることで、3年以上実家をはなれ、一人で頑張っているお嬢さんとしては、帰る場所もなく、ここで周りを敵にして戦うよりは、条件を受け入れる方を選んだのです。

その結論が自分の首を絞める事になり、ストレスと過労から自律神経異状を起こし、初めての緊急入院となったのです。

で、丁度そのころ、(倒れる少し前)南の工房に、一人の牧師さまが、いらっしゃいました。

戦後、消失したキリスト教教会を再建する事になり、ある信者さんからの寄付金でステンドグラスをはめる話になったのです。

そう、あれから退院後、自分で作ってそれなりに大きくした工房も設備も社名もすべて残し、南の会社を辞めて、身一つ実家に戻りました。

当然、勘当された実家に自分の部屋が有る訳でも無し、客間に布団を引き、実家の会社の空事務所を仮工房にして、また、新たに仕事を始めました。

そんな失意の私を、沢山の人々が救ってくださいました。

教会を建てるために、ステンドグラスを寄付されたお話しが、有ります。