昨日、ある福祉系の建物を見に行きました。
3年程以前に、私の作品を買ってくださったオーナーが理事をされている建物で、
「先生ともっと早くにお会いしてたら良かったんだけれど。」と、10年程前に建築された施設のハマっているステンドグラスが気に入らないと、 おっしゃっていたので、どんなステンドグラスがはまっているのか、ちょっと楽しみに見に行きました。
その施設にはいって、「あの、ステンドグラスを見せて頂けま・・・・。」と、しゃべりかけた時にふと、目にとまりました。
なるほど、一目見ようとした瞬間に、なぜ気に入らないと言われているかの意味を解しました。 
中庭に張り出したガラス張りの温室の天井のような透明ガラスを仕切ったサッシの部分部分に、それは有りました。
そのステンドグラスを見ようと上を向いたとたんに、まぶしくて 目を開けていられないし、四月のこの時期でも、紫外線で日焼けしそうな受付の廊下、不思議に思いよく見るとそこには天井からつづくロールカーテンのレールがあり、私が見に来たので、わざわざカーテンを開けて頂いたようでした。

有名建築会社の施工で、予算も潤沢な建築物でなぜ?こんなところに、こんな形で? 

教会の建築に際して、教会のどの部分に(?)、どれくらいの予算で(?)、どのような内容の(?)作品をはめるのか。
当時、一般的に、ステンドグラスが国内で注文することが出来るとすら、あまり知られていませんでした。
そして、どこまでの技術力が有るのか(?)、デザインはどのように決めるのか(?)、建築とのかかわり方も不明でした。
現在でも、 多くの場合が、同じ問題を抱えています。

さて、貴重な寄付金により教会を新たに建てるため、大学で宗教学を教えておられ教育者でもある牧師様は、 たくさんの文献と資料から、ヨーロッパの教会の資料など、ステンドグラスの写真見本をいろいろとお示し頂きました。
「どのようなものでも制作は可能です。」と、私のことばを信じてくださり、礼拝堂と、そこに通じる階段室にも、ステンドグラスがはめ込めるように、フィックスのガラス窓を出来る限りたくさん配置されました。
今でこそ、ネットでたくさんの写真や映像が入手出来ますが、当時は特殊な書物のため貴重で高価なものでした。

私自身ラッキーな事に、ステンドグラスの制作方法は、身に着けたものの、踏襲しなければいけないようなシガラミモも、ビジネス見本もなく、単純にその建築物の求められる意図や、表現できる可能性をまっすぐに捉える事が出来ました。
そして、企画設計事務所と同じビルの同じ屋根の下、クライアント側の立場で専門家として提案していく、建築家的な発想がおのずと身に付いていました。

まずは、予算とデザイン。
この教会にたくさんのステンドグラスが入るようになったきっかけのお話しが有ります。

ある信者の体の不自由なおばあ様が、人々のためになるならと、寝たきりではありながら、お電話で多くの人々の相談者として、困った事が有ればと、お話を聞いておられました。
そんな時、たまたま母の友人で、事業を失敗したやさき、娘さんの結婚が決まっていましたが、親として何もしてやれないと、嘆かれて居られました。
その話を聞かれた例のおばあ様が、
「私の寿命ももう長くはありません。私の死後、多少でも、残ったお金をその方の娘さんのお嫁入り費用として、使って頂ければ幸いです。」と、くださったのでした。
でも、その方は「こんな貴重なお金を、自分たちのために使うことは出来ません。」と、このお金で新しく立てる教会に、ステンドグラスを寄付したいと申し出られたのでした。

そして、教会を新しく建てるタイミングで、一から自由にデザインすることが出来ました。
 

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今から30年程前と言いますと、まさに昭和の終えんと言った時でした。
そして、世紀末を目前に、世界中が大きな変化 の兆しを感じ始めていました。
時代は、戦後の復興期が終わり、重厚長大から軽薄短小となり、情報革命が始まろうとしていました。

大阪南の一等地に工房を構えられた私は、その場所の紹介者の都市企画設計と、都市開発(地上げ事務所)が同じ建物に入り、心斎橋の大型ファッションビルを手掛けていた設計事務所の景気も良く、1階のステンドグラス工房としても、その恩恵に与っていました。独立して3年と半年あまり、ファッションビル全面の45平米のステンドグラスや、次々と、仕事が決まり、まさに一つ目のピークを迎えようとしていました。

「人生、山高ければ谷深し 」のことわざの様に、すぐそこに、大きな谷が口を開けていました。
経済的に厳しい経営をしていた設計事務所に、パトロンが大手ゼネコンから副所長として入られたのですが、自由気ままな設計事務所の気風になじめず、なぜか階下のうちの工房の社長になり、ステンドグラス工房を株式会社にして、建築業に移行しました。
そんなバカな事と、納得がいかないまま、工房をタダで借りている手前、設計事務所には逆らえず、受け入れざるおえなくなったのです。

20代の小娘が数千万以上の仕事を請け、建築業界で営業している様が、周りの大人の男性陣からすると、あぶなっかしく思われたのでしょう。

それは、親切心からとも考えられることで、3年以上実家をはなれ、一人で頑張っているお嬢さんとしては、帰る場所もなく、ここで周りを敵にして戦うよりは、条件を受け入れる方を選んだのです。

その結論が自分の首を絞める事になり、ストレスと過労から自律神経異状を起こし、初めての緊急入院となったのです。

で、丁度そのころ、(倒れる少し前)南の工房に、一人の牧師さまが、いらっしゃいました。

戦後、消失したキリスト教教会を再建する事になり、ある信者さんからの寄付金でステンドグラスをはめる話になったのです。

そう、あれから退院後、自分で作ってそれなりに大きくした工房も設備も社名もすべて残し、南の会社を辞めて、身一つ実家に戻りました。

当然、勘当された実家に自分の部屋が有る訳でも無し、客間に布団を引き、実家の会社の空事務所を仮工房にして、また、新たに仕事を始めました。

そんな失意の私を、沢山の人々が救ってくださいました。

教会を建てるために、ステンドグラスを寄付されたお話しが、有ります。
 

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